人生を変える洋楽

誰かの人生を変えるような楽曲の歌詞を考察・解説するブログ

Loreena McKennittの「All Souls Night」を考察してみた

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Bonfires dot the rolling hillsides
Figures dance around and around
To drums that pulse out echoes of darkness
Moving to the pagan sound.

Somewhere in a hidden memory
Images float before my eyes
Of fragrant nights of straw and of bonfires
And dancing till the next sunrise.

I can see lights in the distance
Trembling in the dark cloak of night
Candles and lanterns are dancing, dancing
A waltz on All Souls Night.

Figures of cornstalks bend in the shadows
Held up tall as the flames leap high
The green knight holds the holly bush
To mark where the old year passes by.

I can see lights in the distance
Trembling in the dark cloak of night
Candles and lanterns are dancing, dancing
A waltz on All Souls Night.

Bonfires dot the rolling hillsides
Figures dance around and around
To drums that pulse out echoes of darkness
Moving to the pagan sound.
Standing on the bridge that crosses
The river that goes out to the sea
The wind is full of a thousand voices
They pass by the bridge and me.

I can see lights in the distance
Trembling in the dark cloak of night
Candles and lanterns are dancing, dancing
A waltz on All Souls Night.

I can see lights in the distance
Trembling in the dark cloak of night
Candles and lanterns are dancing, dancing
A waltz on All Souls Night.

 

<解説>(和訳は緑字)

Loreena McKennit はカナダ人だが、ケルト音楽を中心とする世界各国の民族音楽を融合させた曲を作っている。代表曲は「The Mummers' Dance」である。

11月1日はキリスト教の祭日で全ての聖人を記念する日であり、All Soul's Day =万霊節と呼ばれている。歴史を遡ると、この日は古代ケルト人たちの新年に当たる日であり、その前夜は年の終わりを意味している。

ケルト人は1年を夏=光と冬=闇に二分する

(wikipediaより)

サウィン祭と呼ばれるこの2日間は、夏の終わりと冬の始まりを祝う収穫祭であった。死の神サハムインをたたえ、死者の魂がこの世に帰ってくる夜でもある。死者の魂と一緒にやってくる悪霊に、人間と気づかれないよう火を焚き仮面を付け宴を催すことで、恐怖から身を守る風習があった。現在のハロウィーンの起源だ。ケルト文化は後にキリスト教に取って代わられるが、その際に一部の祭日がそのままキリスト教に組み込まれる一つの例である。

 

この曲のタイトルはAll Souls Night(全ての魂のための夜)であり

pagan = 異教の

キリスト教にとって古代ケルト人が信仰していた神々は間違いなく「異教」であり排除の対象であった。異教徒は最後の審判において救われない存在である。

この曲はそんな異教徒を含めた、あらゆる魂のために歌っている。

波うつ丘にぽつりぽつりと篝火かがりび

くるくると踊り狂う人影を見せる

暗闇の響きを伝える鼓動に合わせ

それは異教の音色に変わっていく

どこかの隠れた記憶の中で

目の前に浮かび上がる残像は

藁と焚き火の香りが芳しく

踊り明かした夜の記憶

 

この曲はどこか魔女を想起させるものがある。4月30日の日没に(ドイツの)ブロッケン山に魔女達が集い篝火を焚いてお祭り騒ぎをする、ヴァルプルギスの夜の歌ったもののようにも思える。

遠くに明かりが見える

夜の帳の中で揺らめいている

キャンドルとランタンが踊る...踊る...

それは万霊祭の夜のワルツ

 

中世から近世にかけてヨーロッパ中で起きた魔女狩り、それはキリスト教の敵となる存在である悪魔と契約した女たちの迫害を原理としている。しかし、それはご存知の通り、罪なき女性(男性も)を5万人近く大量虐殺した、人類の負の歴史となる。

 

魔女狩りは有力な説だと、15世紀〜18世紀という300年近い期間行われていた。

私は以前、どの時期に、どこの国で、何人、どういう内容の裁判で、魔女狩りされたのか、分析してみたことがある。しかし、(時代背景を伴った)魔女狩りの「真相」のようなものは見つからなかった。流行り病や飢饉、不況が見られる混乱期に処刑される人数は増加するものの、そうでない時期にもヨーロッパ・アメリア各地で魔女裁判は行われた。少なくとも私には、かの歴史の核心・全貌を理解することは結局出来なかった。

ただ、1つ分かったことがある。重要なキーワードとなるのは"集団ヒステリー"だ。魔女狩りの実行は、キリスト教の教会側に責任があるとは言え、間違いなくその行動原理の支える大勢の民衆がいたことを忘れてはならない。我々が思っている以上に衆愚政治というものは恐ろしい。ナチスドイツも含め、ホロコーストに本質は存在しない」とでも言うのが正解だろうか。

非常に重い話をして申し訳ない...がコンテンツとしては興味深いと思われる。好奇心旺盛な方は図説を読むと良いかもしれない。万人におすすめ出来るものではないが。

 

そんなこんなでもう一度、思い出してみて欲しい。

この曲は「全ての魂のための」夜だ。踊り狂う賑やかな万霊祭の奥には、過去に眠りについた数万もの人々への哀悼歌や鎮魂歌が聞こえてくるのかもしれない。

 

ところで、中世の魔女は医者にかかることの出来ない貧しい民衆の拠り所となっていた"賢女・知恵者"から来ているらしい。彼女たちは人里離れた森の中で自給自足の暮らしをしており、ハーブ等の薬草の知識が豊富で、時には産婆の役割を担った。一般人と一緒に住んでいないので、教会のミサなどにも参加しなかったため、教会側から異端・異教徒と捉えられやすい立場にあった。

(それが後に悪魔崇拝と融合し、魔女は悪魔の愛人として忌み嫌われ、次第に排除の対象となってしまったのは悲しい歴史だ。)

魔女の暮らしを民俗学・薬草学から読み解く、こういう本はとても面白い。ハーブ好きの人にはたまらないものだと思われる。かつて大原に住んでいたベニシアさんのような丁寧な暮らしに憧れている人にも、是非とも一読をおすすめする。

Erutanの「Jabberwocky」を考察してみた

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Twas brillig, and the slithy toves
 Did gyre and gimble in the wabe;
 All mimsy were the borogoves,
 And the mome raths outgrabe.
 
 Beware the Jabberwock, my son!
 The jaws that bite, the claws that catch!
 Beware the Jubjub bird, and shun
 The frumious Bandersnatch!
 
 He took his vorpal sword in hand:
 Long time the manxome foe he sought
 So rested he by the Tumtum tree,
 And stood awhile in thought.
 
 And as in uffish thought he stood,
 The Jabberwock, with eyes of flame,
 Came whiffling through the tulgey wood,
 And burbled as it came!
 
 One, two! One, two! And through and through
 The vorpal blade went snicker-snack!
 He left it dead, and with its head
 He went galumphing back.
 
 And hast thou slain the Jabberwock?
 Come to my arms, my beamish boy!
 O frabjous day! Callooh! Callay!
 He chortled in his joy.

 

<解説>

この曲はErutanがルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』の作中にあるジャバウォックの詩をそのまま歌ったものだ。鏡の国のアリス』は『不思議の国のアリス』の続編となる作品である。前作よりは日本での知名度は低いが、当時は2冊とも世界的な大ヒット童話となった。前作の『不思議の国のアリス』の有名どころが、うさぎを追いかけて穴に落ちるシーンや奇妙なお茶会、チェシャ猫との会話やトランプの女王による処刑場面だとしたら、鏡の国のアリス』のテーマはチェスである。個人的には後者の方が、主人公のアリスにある程度の行動基準があって好きだ。遊べる程度にはチェスのルールを理解してから読むとなお面白と感じるだろう。

我々がなんとなく知っているアリスの物語よりも原作ははるかに、場面もイベントも登場人物も多いため、興味のある人はぜひ原作を手に取ってみて欲しい。

下のリンクで紹介している、河合祥一郎の訳は原文の英文をニュアンスも含めてそのまま忠実に訳したものであり、いつか原書を読みたいと思っている方には特におすすめである。

 

ジャバウォックの詩は『鏡の国のアリス』の作中でも割と序盤に出てくる。原型は作者のルイス・キャロルが2冊の童話を出版する前から温めていた詩であったらしい。

 

Erutanの曲についてだが...

一つだけ言えるのは、彼女はあえて「言葉の嵐」を選んでいる。詩を曲にする以上、好きな箇所で言葉を切ったり、伸ばしたり、繰り返したり出来るはずなのに、彼女はしっかりと一連の節を歌い切っている。わかりやすく言えば、詩の内容を歌っている部分と、それ以外のインターバルの部分がはっきり分かれており、それに加えて、Bメロ・Cメロを作らずにメインの歌の部分は最後まで同じメロディで通している。原作の詩への深い理解と敬意を感じる。

4拍子のリズムを決して崩さずにハープや鈴、手拍子や笛が軽やかに鳴り響く一方で、全体として妙に重厚な雰囲気を醸し出していて面白い。実際、アリスの物語はファンタジーというにはあまりに重すぎるものだ。狂気に満ちているという意味で。

高音かつ非整数次倍音の多いErutanの穏やかな声質と感性は民族的な音楽を得意としているが、それがこの曲で発揮されている。文学や詩を題材としてそこに独自の世界観を加えた音楽は、通常の曲とは別の意味で魂を震わせる美しさを持っている。

twas=it was

thou hast=you have (汝は〜を持てり)

古英語の響きも良い。

Erutanはアメリカ人だが、曲中の one, two, one, two の発音の仕方が独特である。憶測の域を出ないが、曲に趣を持たせるために、わざとイギリス北部の発音に寄せているのだと思われる。

MVの中でジャバウォックは自分と瓜二つの黒い存在として表現されている。ジャバウォックという怪物に実体がないのはもしかしたら、戦う者によって見える姿が変わる存在だからかもしれない。また、動画では白ウサギは賢人のような役割を果たしている。お茶会はさもジャバウォックを倒した後の平和の象徴のようで。Erutanなりの詩と作品の解釈が垣間見える面白い曲となっている。個人的にMVの最初の鏡文字がお洒落でお気に入り。

 

不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』はナンセンス文学と呼ばれており、言葉をでたらめに羅列したような詩が沢山出てくる。

ジャバウォックの詩もその内の一つであり、明快で論理的な解釈や意味の理解は望めない。というのも、実際には存在しない単語(かばん語)が大量に用いられており、その意味は推測するしかない。一方で英語としての文法・構文の形は完璧ゆえに、その単語が名詞・形容詞なのか動詞なのか、英語話者には感覚的に分かってしまう。すなわち、内容が"空っぽ"にも関わらず形式美のみが健在なのだ。

押韻の仕方が、イギリスの古詩としての形を完璧に保っているジャバウォックの詩には、思考や概念、意義や感情等の上澄みを取り除いた、純粋な「言葉そのもの」の美しさがある。

詩の内容は、読んだヒロインのアリスさん(設定年齢7歳6か月)によれば、
「ともかく、誰かが何かを殺した」
のだそうである。 

(引用&参考:ピクシブ百科事典)

 

いわゆる言霊はそれ以上の何ものでもない。

 

和訳が知りたい方は下のリンク先でぜひ読んで見てほしい。

ja.wikipedia.org

 

詩中のジャバウォックやバンダースナッチに関して、ディズニー映画『アリス・イン・ワンダーランド』を見ればこれらのイメージが湧くと思う。『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』を融合させたような、美しくも趣深く、非常に完成度の高い映画である。そして、もしこの映画に魅せられたのなら、是非その続編も見てみて欲しい。

(それでも足りないアリスファンにはスマホゲームの『アリスの精神裁判』をおすすめする。原作とはあまり関係のない脱出系ミステリーだが非常に満足感の高い作品となっている。無料でプレイ可能なのでぜひ。)

 

最近の英文学界では、シェイクスピアの研究が主軸になっているらしいが、もし自分が英文学を専攻するなら、間違いなくルイス・キャロルの作品を研究すると思う。

シェイクスピアは英語史における超重要人物で、彼の劇が中英語から近代英語への転換点となった。シェイクスピア以前と以降で英語の形は大きく異なる。とはいえ、当時の英語は現代英語からかなりかけ離れた表現を用いている。それがルイス・キャロルの時代になると、幾分かマシになる。それは現在、文語でしか使われないような表現で満ち溢れているが、それでも格調高い英文だと"理解できる"程度には現代英語使用者に通用する英語となっている。たとえそれが、でたらめなナンセンス文学だとしても。

 

不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』の、所々にちりばめられた皮肉や風刺、ユーモアや隠喩は数学者であるルイス・キャロルシュルレアリスム的な心象風景を表しているように感じる。

論理の美しさを求めるであろう数学者が、このような軸のない童話を描いたのは一体どうしてなのだろう。

社会学的な批評によると彼の文学はナンセンス文学の代表であり英語史でも重要視されるが、それ以上に彼の功績は当時のイギリスの教訓主義からの脱却にあるらしい。

堅苦しい時代による抑圧がルイス・キャロルの心の影を作り出していたのであろう。そして彼はきっと文学の中に自身の自由を求めたのだろう。

 

ところで、下の2冊の算数パズルの本は、私が小学生の頃に夢中になったものだ。数学ではなく算数なので、論理パズルが好きな文系出身の方にもおすすめしたい。非常に面白い上に原作の雰囲気の美味しいところを存分に堪能出来る良書なので、ぜひ読んでみて欲しい。同じ問題を友人と一緒に考えて議論し解説し合った少年時代が懐かしい。

 

偉そうに小難しいことを表面的な知識だけで色々と書いてしまったが、私自身はこの詩をただただ心底美しいと感じた。

7歳より前の子供たちの世界観なら、案外こんなもんなのか。あるいは、精神病と呼ばれる病を患ったとされる、この世の理の外に生きる人々が見える世界はこんな感じなのか。

深淵に踏み入りたくなるくらいに魅力的な感性は、意外と私たちの身近にある。

 

それとも、作者のルイス・キャロルにとっては単なる純粋な言葉遊びだったのだろうか。確かにtumtum treejubjubなどは声に出すだけでもとにかく楽しい。小さい頃にテレビで見たNHKの「にほんごであそぼ」が思い出される。惹かれるままに口ずさむように、言葉に触れた感覚は懐かしいものだ。

一 二! 一 二! 貫きて尚も貫く 

不思議の国のアリス』は楽しい。確かなのはそれだけで良いかもしれない。

ベット・ミドラーの「The Rose」を考察してみた

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Some say love it is a river
That drowns the tender reed
Some say love it is a razor
That leaves your soul to bleed
Some say love it is a hunger
An endless aching need
I say love it is a flower
And you it's only seed

It's the heart afraid of breaking
That never learns to dance
It's the dream afraid of waking
That never takes the chance
It's the one who won't be taken
Who cannot seem to give
And the soul afraid of dyin'
That never learns to live

 

When the night has been too lonely
And the road has been too long
And you think that love is only
For the lucky and the strong

Just remember in the winter
Far beneath the bitter snows
Lies the seed that with the sun's love
In the spring becomes the rose

日本でも親しまれている有名曲だが、実は作詞・作曲はベッド・ミドラー自身ではなくアマンダという名の女優が行った。

 

<解説>

まずイントロが素晴らしい。ピアノでCとGの5度音をローテンポで鳴らし続けているだけだが、落ち着いた空気の中に1本の強い意志が貫かれ、という曲全体の色合いをしっかり表現している。

 

前提として、この曲でいう愛というのは、神の愛や博愛や人類愛といった抽象的で高潔な愛の意味ではなく、人の心にそっと灯される温かい愛を指している。それゆえ、リスナーの日々に寄り添った言葉が紡がれている。

 

Aメロでは「愛」に様々な比喩を使っている。

誰かが言う 愛はか弱い葦を溺れさせる川だと

reedは葦。韻を踏むためにこの言葉を選択しているとは思うが、少なからず、パスカルの「人間は考える葦である」を意識しているに違いない。弱い葦というのは人間の喩えだ。川沿いに生えている葦は川の水がないと生きていけない。だが、川が増水し流れが速くなることで腐る葦や流される葦が出てくる。

人間という弱い葦から、考えるという理性を奪い、堕落させ飲み込んでしまう。一方で溺れるように浸かっていない葦は枯れてしまう。まさに依存である。

愛は魂を流血させる剃刀の刃だ

愛は飢えであり果てしなく疼く欲求だ

 

Aメロの最後で「私」の考えが語られる。

愛というのは花で あなたはそのたった一つの種だ

only

たった一つという言葉を使っている。一人一人咲かせられる花(薔薇)は違うのだけど、その貴い花を咲かせられるのはその人(一つの種)だけ、という意味なのだろう。

 

最初の3つの例えはどれも愛を強く酷なものだと考えている。川、剃刀、飢え、どれも人にとって脅威となり得るものだ。それに対し、「私」は愛を花という弱く儚いものだと考えている。この違いはなんだろう。

依存させ傷つけ渇望させる愛は外から内に向かっている。心の外から内に働きかけさせてしまっている。愛という心の外にある何かが、自分を依存させ傷つけ渇望させる。

故にそれは違うんだ、と。愛は外側にはない。内から外に向かうものだ。愛は、自分という種が外に向かって花を咲かせようとするかのように、自分の中で満たされた優しさを誰かに与え魅せてゆくもの。ベクトルが違う、これが最初のAメロが言いたかったことだ。

 

この曲の真価は2番目のAメロの歌詞にある。

壊れることを恐れる心は踊れない

目覚めることを恐れる夢はチャンスを掴み取れない

奪われることを恐れる者は与える喜びを知らない

死ぬことを恐れる魂は生きることを知らない

言葉選びが美しくて聞く人の心を魅了する歌詞だ。恐怖という感情の扉を、決して小さくはないその扉をそっと押し開けて、一歩踏み出すことの大切さを教えてくれる。

 

www.youtube.comゲド戦記で有名な手嶌葵がこの曲をカバーしている。引きこもりの中学時代、彼女の支えとなった曲である。そして唯一無二の歌声を持つ彼女が、ジブリ鈴木敏夫プロデューサーと宮崎駿の目に止まったきっかけとなった曲でもある。

 

 

雨風に打たれて、痛くて悲しくて、世界のどこにも味方がいないような気がする夜があるかもしれない。全てが寒くて仕方なくて、何も考えたくない、何もかも諦めたい、そう思ってしまうかもしれない。もうどうでも良いかも、ここで人生を終わらせてしまおうか...らしくない考えが頭をよぎるかもしれない。生きていくのに希望が見えないそんな夜。

怖い。寂しい。虚しい。世界のどこにも、明日の先の未来にも、一つたりとも彩りを見ることの出来ない、そんな夜。自分が誰よりも弱くちっぽけな存在に思えてくる。もう、どこにも辿り着かないような気がする。どんな言葉も想いも、薄っぺらく思えて、自分に届かない。

そんな時は、目を閉じて、力を抜く。今はそれだけで良い。何も信じられなくて良い。この時間を静かに生きてゆければそれで良い。流れに身を任せる。あなたの内側には今この瞬間もちゃんと貴い「種」がある。愛の種はあなたの中にある。

そうして、いつか、どこかのタイミングで、一歩踏み出せる日を待とう。あなたが気がつかなくても、暖かな太陽は今日もあなたを照らし、恵みの雨は今日もあなたに降り注ぐ。扉を開けるその日のために、今は種として土の中で静かに待つ。あなたの中にそれはちゃんとある。花開き自分自身をいっぱいに満たしてあげられる日が必ず来る。

覚えておいてほしい 
冬...厳しい雪のはるか下に
太陽の愛に育まれた種が
春には薔薇になる

あなたの内側に秘めたもの(種)は大きい。冬の今はそれを秘めているだけかもしれないが、いつかそれが外に向かって花開く日が来る。決して今じゃなくて良い。いつか、あなたの愛(薔薇)を内から外に向かって、咲かせる日が必ず来る。その日が来るまで、ゆっくりじっくり自分を大事にして待とう。今この瞬間は自分を思いっきり、抱きしめてあげよう。

 

マイケル・ジャクソンの「Heal The World」を考察してみた

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(前振りは省略)

There's a place in your heart
And I know that it is love
And this place could be
Much brighter than tomorrow

And if you really try
You'll find there's no need to cry
In this place, you'll feel
There's no hurt or sorrow

There are ways to get there
If you care enough for the living
Make a little space
Make a better place

Heal the world
Make it a better place
For you and for me
And the entire human race

There are people dying
If you care enough for the living
Make it a better place
For you and for me

If you want to know why
There's love that cannot lie
Love is strong
It only cares of joyful giving

If we try we shall see
In this bliss we cannot feel
Fear or dread
We stop existing and start living

Then it feels that always
Love's enough for us growing
Make a better world
So make a better world

Heal the world
Make it a better place
For you and for me
And the entire human race

There are people dying
If you care enough for the living
Make a better place
For you and for me

And the dream we were conceived in
Will reveal a joyful face
And the world we once believed in
Will shine again in grace

Then why do we keep strangling life
Wound this earth, crucify its soul
Though it's plain to see
This world is heavenly
Be god's glow

We could fly so high
Let our spirits never die
In my heart
I feel you are all my brothers

Create a world with no fear
Together we cry happy tears
See the nations
Turn their swords into plowshares

We could really get there
If you cared enough for the living
Make a little space
To make a better place

Heal the world
Make it a better place
For you and for me
And the entire human race

There are people dying
If you care enough for the living
Make a better place
For you and for me

 

<解説>(和訳は緑字)

この曲はかの有名なWe Are The World」の続編曲として、マイケル・ジャクソン自身にとって最も特別な1曲だったらしい。実際、この曲は数え切れないくらい多くの人の心を救っただろうし、この先も救い続けるだろう。

マイケル・ジャクソンの、人間への信頼と期待、理想の世界への切望が、美しいメロディと畳みかけるような口調からひしひしと感じる。いかに彼がこの世界を愛していたかが痛いほど分かる曲だ。

まず注目して欲しいのが、彼はタイトルで「heal」という言葉を使っていることだ。「Save The World」でも良さそうなのに、あえてhealを用いている。世界を救うではなく、世界を癒やす。何かと戦う、という考え方をどこか遠くの彼方へ放り出して、改めて世界を見つめてみる。

僕たちは最初から慈愛に満ちた素敵な世界を作れるはずなんだけど、今ほんのちょっとずれちゃってるみたいなんだ。でも、大丈夫。今からでも良いから、もう一度思い出してみよう、立ち帰ってみよう。僕たちにはできるはずだ。

そんな声がこの曲から聞こえてくる。地球上では今もなお、誰かが傷ついている、死にかけている。それでも、悪者なんていない。誰しもがもう少しだけ人を愛せるだけで、世界は全く違う景色になるんだ。

この世界に生きる人の子は皆、例外なく素晴らしい存在であるという考えが楽曲の根底を流れている。本当に優しくて優しくて仕方のない歌だ。

あなたの心にはある場所がある

僕にはその場所が愛だって分かるんだけど

それは輝く明日よりも

さらに眩しい場所になるかもしれないんだ

最初のAメロの語りかけ。どうしてこんな素敵な言葉が出てくるのだろう。

 

Make a little space

誰かのための小さな居場所を作ってあげよう

 

誰かにとっての暖かい居場所が世界を変える。

より良い場所(世界)にしようか

あなたのため僕のため

そして全ての人類のために

 

Cメロでマイケル・ジャクソンの想いが溢れている。

そして夢 僕らが思い描いた夢はきっと歓喜の表情を覗かせるだろう

そして世界 僕らが一度は信じた世界はきっとまた神々しく輝けるだろう

だのになぜ?僕らはずっと苦しい生き方を続けるんだ?

この地球を傷つけ その魂をいたぶる

この世界は天国のように素晴らしく

神の光とともに存在することが

明らかなのに

 

plain 

明らかだと言い切っている所が、マイケル・ジャクソンの信念を表現している。

 

アメリカ人である彼の中にはキリスト教の精神が溢れているが、言っていることは民族・宗教・人種に関わらず、人々の心の奥に届くだろう。

I feel you are all my brothers

みんな僕の兄弟なんだ

 

この記事を書いている今、ロシアとウクライナが戦争をしている。時代が進み、歴史が積み重なってなお、世界はいつまでもずっと傷つけ合い、殺し合っている。

それでも、この世界に悪者なんて存在しない。

なぜ偽りのない愛が存在するのか

分からないのなら(教えてあげる)

愛は強くて

ただ与える喜びだけを知っているんだ

 

マイケル・ジャクソンが思い描いた世界を、彼が信じた人間を、どうか無謀な理想論だと一蹴しないで欲しい。高みの見物だと否定しないで欲しい。

We could really get there

僕たちは本当にそこに辿りつけるかもしれない

色んな現実があるかもしれない。だけど、あなたはこの曲を尊いと心の底から感じた。

それがあなたの答えであり、人類の答えであるはずだ。

エンヤの「Wild Child」を考察してみた

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Ever close your eyes

Ever stop and listen

Ever feel alive

And you've nothing missing

You don't need a reason

Let the day go on and on

 

Let the rain fall down

Everywhere around you

Give into it now

Let the day surround you

You don't need a reason

Let the rain go on and on

 

What a day

What a day to take to

What a way

What a way

To make it through

What a day

What a day to take to

A wild child

 

Only take the time

From the helter skelter

Every day you find

Everything's in kilter

You don't need a reason

Let the day go on and on

 

Every summer sun

Every winter evening

Every spring to come

Every autumn leaving

You don't need a reason

Let it all go on and on

 

What a day

What a day to take to

What a way

What a way

To make it through

What a day

What a day to take to

A wild child

ニュアンス含め、完璧な和訳の動画を見つけてしまったからこちらも参考に。

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<解説>(和訳は緑字)

この曲以上に、人生の本質を突いている曲は無いんじゃないかと思えるほどの傑作。終始一貫して伝えようとしている考え方は「let it be」、なるように任せよ。

 

エンヤは、伝統を愛するアイルランドの出身者なので、英語にナチュラルに古語的なニュアンスを含んでくる。例えば、一番初めのAメロにeverという言葉を使っているが、これは若干古い英語で「いつも」という意味だ。現代ではほとんどalwaysに代わられている。

三たび続けてエンヤは語りかけている。

どんな時も...目を閉じて、立ち止まって耳を澄ませて、生きていることを実感して。

And you've nothing missing

八方塞がりになって辛く苦しい思いをしている時ほど、彼女の言葉が胸に刺さる。今、ここにいるあなたは、生きている。だから、あなたは初めから何一つ失っていない。

続く2回目のAメロでは、優しい言葉で核心を突いている。

雨は降らせなさい。あなたの周りでただ降らせておけば良い。

私たちは、日々の忙しい生活の中で、焦りもがき苦しみ、様々な問題にぶつかり傷ついていく。その全てを今一度、放っておいて、自分が一人の人間としてこの世界に生きていることを思い出す。もっと言えば、価値観や思想や時間といった人々によって作られた概念すらも手放して、裸の自分、ありのままの自分としてこの世界と向き合ってみる。そうすると、今まで自分が悩んできた全てが、雨でしかないことを知る。抗おうと傘や屋根を必死に探し回っている時には気づかなかった、ふんわりと温かい雨。逃げる必要なんてなかった。気負って頑張って、何かを動かす必要なんて最初からなかったんだ。優しい雨に身を委ねて、穏やかに抱かれていれば良い。抗うのをやめて。肩の力を抜いて。雨はただ降らせておけば良いの

この曲のタイトルは「Wild Child」だが、エンヤはサビで1日というものを野生児(反抗的な子ども)に例えている。「今日の1日」という腕白な子供は、なんて思い通りにならなくて、受け入れがたくて、それでいて愛おしくてしょうがないんだろう、と。

英語のtimeという単語には時機という意味がある。chanceやopportunityに近いニュアンス。

慌ただしく乱雑な迷い(helter skelter)の中から、あなたは本当に大切な瞬間だけを選び取ってね。そうすれば、あなたは日々気づくはず。

Everything's in kilter

全てはうまくいっている。

こんなに美しい韻の踏み方を私は他に見たことがない。

悩まないで、苦しまないで。深呼吸して、ただただ今この瞬間生きていることを実感するの。日々この世界を、リラックスして楽しむの。全然難しくない。頑張らなくて良いんだよ。心の赴くままに生きよう。

(本当は)あなたに理由なんて必要ないの。

季節が巡るように、大きな流れに身を任せよう。

頭で考えるんじゃない。心で感じるの。ありのままを受け入れる。楽しむ。抵抗せずに手放すの。そうして初めて見えてくる。初めて気が付く。全ては最初から上手く回っていたんだって。

世界はそんな風に出来ている。